今日の一句。
「声帯は、合わせて伸ばすが当たり前。」
おはようございます。あんじぇらです。
2017年が幕を開け、早くも12分の1が過ぎようとしています。
今年もプロダクションが盛りダクションですが
年始のリバーサイドラフターヨガに続くのはこちら。
2月18日と19日に梅田・ヘップホールで舞台:That’s Off Broadway
幕末、戦時中、おとぎ話の世界、そしてオフブロードウェーを駆け巡る
ショースタイルの作品です。
チケットはこちらから。http://ozmate.net
2月22日は宝塚市にてラインスタンプを作る楽しい講座。
3月頭はリバーサイドでラフターヨガ。
3月下旬はラフターヨガリーダー養成講座を開催します。
ということでとまとプロジェクトを今年も宜しくお願いします。
さて、
言葉じゃ足りなくなったら歌う、それでも表現しきれない感情をダンスするのがミュージカル。
芝居におけるリアリズムについて日々考えております。
もちろんアーティストとしての技術も手に入れたいと稽古に励むわけですが
そもそもアートというものは、誰かが決めた一定基準のうまい・ヘタで測られるものではない。
「私の中の魅力的な何かが、あなたの心を揺るがす」
この力こそが、絵を描くときでも、歌を歌うときでも、芝居するときでも存在することが前提である。人間的な魅力というのはその人の個性や、経験、考え方、フィロソフィーが作り上げるもので、技量は全く関係ない。そこにいるだけである、その人の魅力だ。それがなくてもアートとして成立するのであれば、ロボットにさせればいいとおもいませんか。歌や技量の完璧さを芸術の基準とするのであれば、いくらでも人工的に創造できるのだからそうすればいいでしょう。
そこで、です。
ではなんでアートが人工的生産物にならないのか。
それはアートが自己表現であり、人間から作り出される癒しだからです。
命あるものからつくられたものには、また命がやどります。
自然の世界から命を授かったものたちは、
生きているものからしか真実の癒しを受けることができないと私は思っています。
規律的で秩序のある、窮屈でミスを許されない雰囲気がある世の中で
喜怒哀楽を”楽しむ”「うつわ」、心の中で埃がかぶっていませんか。
映画もいいですが、たまにはライブで演劇もいかがでしょう。
欲しかったメッセージが見つかるかもしれません。
OZmate,様々な経歴の個性的な役者ぞろいです。
劇場でお会いしましょう。
稽古に行ってきまーす。