書きたい、書こう、書かなければ、書かなければいけない。

意欲はある。ペンは持てない。パソコンだ。開いたのはいいもの、いらん情報に振り回されてノートさえ開けない。

そんな状態に振り回されて、やっと今ココ。(ため息)

こんばんは、あんこです。

昨日、シンガポール時代の同僚からとても久しぶりに着信があった。

割合的に私は電話をかける側であることが多い。突然の電話や手紙を昔からの友人から受けとることは、思い出してもらってた喜びで胸が溢れる。実は今月は彼以外にもお久しぶりの友人との交流が何件か続いた。

あれや、これやお互いの近況報告をし、彼が勤続25周年で会社にお祝いをしてもらったこと、花束をもらったこと、今年は日本に帰ってくることなどをお話ししてくださった。そして一つのことを続ける、ということの尊さを見た。もらえる褒美も羨ましい(笑)のですが、それまでに乗り越えてきたさまざまなな「高さ」や「条件」の山があって、徒歩で乗り越えたのか、秘密兵器で破壊したのか、迂回したのか方法はさまざまだったと思いますが、彼自身が自分の手で切り開いて今では山の向こう側の景色の一部となっている様のなんと勇ましいことか。

私は「継続」することが苦手で、実は自分がなんでそうなってしまったのかあらかた検討がついていて、今日はそのことについて自分の思い違いを正すためにもここに書き記しておくことにする。

それは中学校の時にまで遡る。

よくある話でなんのですが、人間関係でうまく行かないことがあり結果的に孤立してしまい、中学校をやめてしまいたいと思った時期が人並みにあった。2つほど要因があったのですがトドメはあと卒業まで半年のところで出た弱音。

母に「行ききりなさい、あと半年だから。」と励まされ、大きな声で聞こえるような悪口を教室の中で言われることがあっても、登校。(一回行かなかったら、もういけないと感覚的に脳が察知していたため)まるで機械のように、能面の顔で乗り切った。家に帰ってきてダムが崩壊したように泣き喚くこともあったので今振り返ると家族には本当に心配をかけた。

この経験から本来、「継続をすること」で「困難を乗り越えてより強くなる」とか「一つのことを極めていく」という本来ついてくる「下の句」が辛さや恐怖のせいで消し去られてしまい、「嫌なことを歯を食いしばって我慢すること」と意味を誤認してしまったようなのである。そうだ、私は肝心の下の句理解への努力を解放感のあまりに怠ったのである。

未完成の歌詞を知ったかぶってふんがふんが適当に歌っていたのである。

数年前、20年の時を経て母がこんなことを言った。

「あなたは他社とコミュニケーションを取ることに長けている。うまくしようと力も注ぐ。相手にも期待をする。それが故にうまくいかなかった時の落胆がとても大きくて、心が寂しくなってしまう。」

何も言えなかった。

涙を堪えながらその分析を胸に、何ができて、何ができなかったか、自分に問うた。

心が壊れてしまう出来事から皮膚のターンオーバーが完了する程度の十分な時間が経ち、髪の毛も切った。爪だってあの時を経験した部分は生え変わった。同じ車種や名前、似た風貌を見かけてもやっと胸が苦しくなることは無くなり、夜も眠れるようになった。

そんな時の電話。

「あんたは人と会った方がいいですよ。人と接している時、生き生きしてますからね。」

いっぱいゆんたくしたから、そろそろ立ち上がりましょ〜ね。

angella tomato
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