みなさん、こんばんは。
あんこ、こと
あんじぇら とまとでございます。
誰も別に期待してはいないであろう
あんこ史を揺るがした
”あの”突然のインド撤退宣言から早1年…
激動の年でした。
まずはみんなが聞きたくてしょうがないだろうけど
遠慮して優しくスルーしてくれる
私が帰国する原因となった
「理由なき反抗的」「解消」事件勃発。
満員電車恐怖症のため逃亡した、長野での隠居生活。
帰ってきたと思ったら地元にいないっていう。
(インドではいつも振り返ればヤツ【マイ運転手さん】がいた。)
前代未聞の国際線フライトキャンセルに巻き込まれた
9人の迷える劇団員を一人残らずアメリカ入りさせるべく
お盆やすみのハイシーズンにミッションインポッシブル並みに
体を張ったフェアプレイの末、
一人オネエ声でNY入りした劇団公演の同行。
(副題:ホントです、信じてください、いつもはもっとエェ声なんです。)
実は珍しく、自分を褒めてやりたいこともある。
およそ20Kgの減量に成功したこと。(どんだけ丸かってん)
詳細、知りたいじゃろ、知りたいじゃろ。
「屈辱のゴムパン」にもオサラヴァ。
その話は怪人モノグサーな私にしては努力の賜物なのでまた追々。
また2016年は兎に角、別れの多い一年だった。
それもうんと、心が重たくなる、苦しい分野の別離。
(把握してないだけで別れと出会いは毎年必ずあるんだろうけど)
この経験は実は相当堪えたし、
今までの自分を全否定されたに等しい状況だった。
ありがたいことに、事実を受け止めて学んで
前に進む好機でもありました。
自分に対する自分の理解のなさで
善意が怒りや失望になって、結果相手も自分も傷つけるループになっていたから、このワークは私にとって必要だった。
家族について、友情について
恋人について。世間について、社会について
全てエポケー。
ぱっと見、外国帰りのキャリアウーマン風で
しかもなんかNYに演劇祭とか仕事はフリーランスとか
なんだなんだ、羨ましがられる要素満載でしたが。
そうです。
となりの芝はいつだって青く見えるんです。
弟のケーキはいつだって自分のより大きく見えるんです。
実際は底に着くか
つかないかくらいの低空飛行中の
墜落予備軍であった。
↓こんな感じ。
とにかくがむしゃらで
顔を上げれば、2016年も終わりかけ。
いばらの道にもブッ刺さらず
煮え滾るマグマに足を引っ掛けなかったのも
はたまたダークサイドに堕ちて我が息子(だか娘だか)と
因縁の対決を繰り広げなかったのも
ひとえに
これから頻繁にブログに登場するであろう
「真っ白だった頃のあんじぇらを知っている古い友人たち」の
理解と、ひたすら理解と
6年間も振り回したにもかかわらず、
懐深〜く
まるで昨日も隣に座っていたかのような
親しみの籠った寄り添いがなければ
こうして書くことにも戻ってこれませんでした。
うとがりあ。
ということで。
2016年12月1日現在。
なぜだかまだ日本にいて
ずいぶん前に足を洗ったはずの舞台の世界に
スキップで乱入。
水牛じゃない、うんまい焼き肉とか
パニール(インドのチーズ)なしのピザに誘われて
上手(しもて)と下手(かみて)も危ういというのに
先生と劇団員の仲間たちのささやきにニヤニヤしながらついて行き、
気がついたら2017年2月に舞台出演決定。
一応、「住所不定・無職」という
世間のお尻か◉り虫的な屈辱的な肩書きとも決別し、
「自立」という名の家出を完了。
強い紫外線のせいか
伸びても伸びても
すぐに薄い栗色になっていっていた髪の毛も
黒い根元が見えてくるようになり
原因不明の湿疹も出なくなり、
ちゃんと横断歩道があるところで、青信号の時に渡れるし
何種類も並ぶコンビニの飲むヨーグルトも、今では入店3秒で難なく選べるようになった。
そう。
あれほど帰国を恐れていたが
慣れつつあるのである、NIPPONに。
大きな進歩である。
道に牛が歩いてなくても
寂しくなくなったんだから。
私がこの先どれだけ
ココ【おジャパン】にいるかはわからないけれど
せっかく存在(いる)ので
この調子で勇気を出して立ち向かおうではないか!
逆立ちで。笑
ほら、まっすぐ見るのはちと怖いけど
逆立ちだったらイケるかな、なーんて…笑
ってことで
人生のおよそ半分を日本領土の「外」で過ごした
【国籍】日本人が
【生態】地球人として
マルチな角度から
世の中のくだらないこととか、真面目なことを
ちゃらっとひゃらっと考えてみるブログ。
セカイde逆立ち。
はじまり、はじまり