インドdeご飯。

物が選べないときの対策。

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10月27日は満月、昨晩のお月様は妖艶にオレンジ色の光を放ち、雲がぼんやりとお化粧をしたおぼろ月夜でした。我が家は毎年11月12日にヒーターを解禁なため、朝夕の冷え込みはブランケットと温かいお茶で乗り切っています。

さて、悩みがあります。最近お通じが悪いのでヨーグルトを買いにいこうとコンビニへ行ったところ、飲むヨーグルトも含めて20以上も種類があり、選べず、15分くらいかかってしまった。

インドから帰ってきて…本当に物のチョイスが多い事に驚かされる。今までならロシアと一緒、『みたときが買いドキ』だ。逃したら次いつ入荷するかわからない。一方日本は洗剤ひとつとっても無数にチョイスがある。泡切れがいい、香りが違う、安い、高い、パッケージがかっこいいetc…

困った。相当自分にこだわりが無いと、もの1つ買うのにも余計な時間がかかるのである。そこでこだわりを持つ事にした。

『後ろの成分表をよんで理解できる成分が入ってる物を買う。』

どんなに高くても後ろの成分をよんで自分がわかっているものを買う。わからない物が入ってる物は買わない、とすると一気にチョイスが少なくなる。ほぼ、石けんシャンプーとか石けん洗濯粉とかしか残らない。

そこで、あんじぇら、考えた。

これ、体にも環境にもいいんじゃないの?

有名人がCMに出ているから、みんなつかってるから、なんとか成分が浸透してしっとりどうのこうのいってるからとせっせと、化粧水等も選んでましたが、ふと考えた。

昔の人はつかってなかったよね?米ぬかでいいんじゃね?

どんどんアナログ化を測っています。今年は年賀状まで書こうとしているもよう。

 

 

 

インドdeご飯。

一種のホームシック

私がロシアに住んでいた頃、家では日本食だったので食べ物に関してはアイスクリームとピロシキ以外それほどおいしかった記憶がないのだが、あの頃の3年間というのは今までの私に強烈に影響していると要所で感じてきた。

3年という塊の時間は、型にはまっていい感じに跡がついてくる頃合いなんやろう。

なんでこんな話をするかというと。

 

あんなに避けていたくせに、無性にカレーが食べたいんですわ笑

 

あの、日本のカレーじゃなくて濃厚なインドカレーが食べたいんですわ。

土曜日に近所の印度カレー屋さんへいったがなんか自分が思っていたのと違う。私は濃厚なバターチキンとパラックパニールが食べたい。そしてナンではなく、チャパティーで食べたいのである。日本に帰ってきて3件ほどインド料理屋さんでお食事をしてどこもナンがおいしいし、残してる方もお持ち帰りにしてしまうほど日本人はナンが好きなようだ。うんちくを垂れたい訳ではない。が、気づいてしまった。日本のナン、甘いねん!ミルクパンの味するねん。菓子パンみたいな。でもインドのなんてちゃうやん?がっつり、『飯』やん?そこで私が欲しいのはきっとチャパティなんだろうと推測。

 

もちろん、ないなら作ろう、ほととぎす。

まずバターチキン。バター不足なんだよ、日本は。高いし。そしてトマト。トマトって高いの知ってた????笑 私、今日コープさんで『げっ』っていってしまったよ。1玉160円。(150g)インドやったら半額ぐらいやなあ。せっせと下味をつけたもも肉をヨーグルトにつけ込む。

ふふふ、そして私がどうやってパニールを入手したか気になりませんか?

作りました。豆腐じゃないよ!ちゃんと牛乳から作りました。

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もそもそになってしまって形は崩れやすいのですが、パニールとしてしっかり力を発揮!めちゃめちゃおいしいパラックパニールができました。

チャパティはwheetが無いのでちょっと白くなってしまいましたが初めてにしては上出来でしょう。

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日本deインドnoご飯。食べてくれる方はどうぞご連絡ください。笑

インドdeご飯。

「Piku 」@ Indian Film Festival, Osaka

芸術の秋。毎年9月、10月は東京と大阪(神戸)でインディアメラと映画祭が開催されている事をご存知ですか。主にはムンバイ産のボリウッド映画の上映がなされており、大阪・九条(市営地下鉄中央線)シネヌーヴォ(写真下)が毎年会場になっているようです。

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父が仕事の関係で協賛のエアインディア勤務の方とお話する機会があり、なんとも嬉しい事に招待券を頂いた。アーメダバードで某日系企業様オフィスアートの捜索活動をしていた際、ポスターをみて2番目にみたいナーと思っていたのが2代大御所アミターブ・バッチャン、イルファン・カーンそして今旬のディピカ・プドゥコネ出演の『Piku』。(ちなみに一番の座を射止めたのは近日日本公開の『Margarita with a straw』 。)

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余談ですがアミターブのムンバイのお家はご近所でした。(彼はインドのあちこちに自宅?別宅があります。)

Pikuのあらすじは他のインド映画ファンの方々が詳しくしてくださってるので詳しくは書きませんが、父娘の物語に運転手(イルファン)が巻き込まれるロードムービー。インド事情を知っているとこれまた突っ込みどころ満載。Neo インディアンファミリーの図という言葉がふさわしいかもしれません。

という事で私は突っ込みます。

異教徒間の結婚:Piku (ディピカ)の共同経営者Syedは名前からムスリム教徒。彼は父が倒れたと聞けば駆けつける等、Pikuに惚の字なのは映画開始15分で一目瞭然。最終的にSyed はお父さんと同じ『悩み』があることであっけなく彼女の婿候補から削除されるのだが、それ以前にインドで異教徒間での結婚は特異です。Syed もPikuも社会的地位があるNeo インディアンファミリーですから、映画界でいうSaif Ali Khan とカリーナ・カプールの異教徒カップル誕生があり得ない訳ではないと思いますがまだまだ庶民から共感が得られるシチュエーションではない。(もしくは、これをみて「頑張れば大好きな異教徒の◎◎ちゃんと結婚出来る!」と奮起する若者もいるのでしょうが、人口の大部分を占めるローカーストの人々からみればまだまだ夢物語でしょう。

歳の差、格差婚:はっきりとは描かれていませんが、お父さんに嫌気がさし、「Pikuが結婚したらそこで働きます。」と辞めていったメイドが、PikuとRamaがバドミントンをしているところにやってきます。この映画でよかったのは結婚したのかしなかったのかというところに焦点を当てずにぼかした点。ですがこれ、結婚してたら格差婚。私の父は「青年実業家と建築家だろ?」と。うーん、インドで家業の地域のタクシー会社経営は実業家というきらびやかな響きからはほどとおい。ただ、ここで彼にプラスポイントなのは彼はエンジニアなのである。(『きっと、うまくいく』で言及されるように、インドでは女の子は医者、男の子はエンジニアになるのが社会的地位もあり理想的とされている。)さらにこれはどうしようもないのですがインド映画で若くてかっこいいヒーローというのは全くといっていいほど流行らない。男の人は40すぎてからめきめきとその存在感を発揮するといっても過言ではない。なので20代女性の相手役が歳が倍以上はなれた男性(だが役の設定は若い)というのは良くある話。SRKが以前映画のインタビューで冷静に「ボリウッドのおかしなところは、20代の若い女性に40代のおっさんが本気で恋しちゃところですよね。」とコメントしていた。この映画にもがっつりボリウッド要素、組み込まれています。

性について赤裸々にかたる:お父さんが娘を嫁にやりたくない?ばかりか、もしくは相手が気に入らないからか、独身男性に娘は処女じゃないという様なこと講習の面前で暴露したり、叔母がキッチンで「恋人はいなくてもセックスはしてるんでしょ?」と聞くシーンがある。前述はインドに限らず、そういう事はなしませんよね。3年前、初めてインドで飛行機にのったときに隣の席の人(インド人)に話しかけられ、いきなり「海外ではみんな自由にセックスするんでしょ?」と聞かれたことがあった。西洋の常識でなくインドの常識で女性にそんなことをきくなんてあり得ないことだとわかってきたのは半年経ってからだった。そもそもボリウッド映画で突然風が吹いて長い髪が艶かしくなびき、腰をくねらせながらセクシーに踊りだし、草原を駆け抜け、雨の中でずぶぬれになりながら男と女が歌の掛け合いをするのは、タブーとされたラブシーンを表現する為であった。この映画はそれが全くない。ボリウッド映画界においては西洋風のあたらしい試みであろうが、ボリウッドと期待してみにきた民主には退屈な印象も与えたでしょう。そしてアミターブの死のシーンの書き方、雑い笑

それでも素晴らしかったイルファンカーンの演技。ロールがIrrfanとなって姓が無表記になっていましたが何かこだわりがあるのでしょうか。ご存知の方、教えてください。

ちなみに彼の作品はNew york, I love youでナタリーポートマンと演じた短編が好きです。

今回日本で字幕付きのボリウッド映画を始めてみて、台詞ひとつにしてインドを知っててみるのとそうでないのは笑えたり、共感出来る度数が随分違ってくるなと実感しました。そしてヒーロー、ヒロインがでてきたときにヤジが飛ばないことがこんなに寂しいものなのかと、満員御礼なのに静かな映画館でしみじみインドを懐かしんだのでした。

 

 

 

 


 

若さは向こう見ず(yeh Javani hai Deewani)』*クリックすると映画.comへ飛びます。

以前の記事はこちら。

恋がしたくなる!!映画『Yeh Jawani Hai Deewani』

チェンナイ・エクスプレス!

インドdeご飯。

ぐだぐだ書いてきましたが

2015年9月22日付けで日本へ帰ってきました。

2009年5月18日より、タイ→シンガポール→バンガロール→ムンバイ→デリーとインドにいくなんて2009年には思ってもいませんでしたし、そしてそこで3年住んで、日本へ帰ってくる日がくるなんて私の計画書にはありませんでした。現在は計画書を作成する生活を送っています。

あれ、タイで結婚するはずだったんだけど。

あれ、シンガポールで結婚するはずだったんだけど。

あっれー、インドでガチで結婚するはずだったんだけどっ!

 

とりあえず、久々の日本の冬に恐れおののいています。

コンビニのシステムがわからな過ぎて、店員さんに初歩的な事を訪ねてきょとんとされます。2009年から6年の間にスマホが主流になって、電子マネーが市民権を得て。自分の国で知らない事ばかりです。

 

 

インドdeご飯。

祖母、倒るる。

母方の祖母が倒れた。

裏庭で父が収穫した渋柿を干し柿にするべく、「夫婦の共同作業」と手際よくするする剥いていた母が、剥きかけの柿を放り出してあわてて車で転がりおりていった。

話はこうだ。

祖母は私の弟と暮らしている。叔父は祖母宅に毎日通っている。叔父がいつものようにやってくるとシャッターがあていないという。かくかくしかじか、家に入ると祖母が血を吐いて倒れていたというのだ。

自宅待機組となった私も気になって仕方がない。85歳になるが背筋ののびた若々しい祖母である。寝込んだ事等一度もない。母からの速報はそれをあおる内容で、やれ、病院が移転している、やれ、担当医がいないといわれ他の病院にいけといわれる。優しい母が珍しく声を荒げたという。

2日経ち、私が100個目の柿を干し終わった頃、車がガレージに入ってくる音が聞こえた。祖母からと、お寿司を受け取り、一緒に洗濯物を取り込んだ。もうすっかり、秋模様、今日もすっきりと三日月が見える。久々に帰ってきた母からついに事件の真相を聞いた。そもそも祖母は夜中の1時頃、家の中で転倒。腹部を強打しそのまま床に倒れ込んだ。音を聞きつけた私の弟がお越し、ベッドまでつれ戻った。朝方、ベッドに吐血しそのまま寝込んでしまい、シャッターをあける事ができなかったため叔父がくるまで祖母の状況がわからなかった。

駆けつけた母は祖母を病院へつれていったが、いつもの病院が出発前に電話を掛けているにもかかわらず移転した旨を教えてくれず、しばらく走り回り、到着すると、救急に専門の医者がいないからみれないという。

結局2日後の今日、いつものかかりつけのお医者様に予約をとった。

私は吐血した点がとても気になっていた。血を吐く人なんてテレビでしかみたことがないし、それはいつだって重大な事が体の中で発生しているサインだ。ましてや相手は老人。ちょっとこけただけで内出血やら骨が折れてどこかに突き刺さってる事だってあり得る。

が、叔父と母は「?」と思っていた。嘔吐物の色が鮮血でなく、ほんのり小豆色だったらしい。いわれてみれば血のよな色なのだが鉄分の匂いがしないという。祖母はステロイド治療で糖尿病を患っていたので甘い物を控えていた。2人が探偵のように家を一周し、予測クイズのように可能性のある食品を聞き取り調査しても夕食以外なにも食べていないという。(祖母はまだ、そこまでぼけていません。)

いよいよ母は祖母とともにお医者様へ。

母(アレキサンドラ)が問診票を書く。事細かに何が起こったのか、症状を書いていると横から祖母(クレオパトラ)が黙っちゃいない。

クレオパトラ「あんた、そんなん、かかんでいい!先生にあえばぜーーーーーーーんぶわかりはんねんから!」

アレキサンドラ「お母さん、先生は占い師ちゃうんですよ。ちゃんと説明しないと、何が起こったのか、どの検査が必要かわからないでしょ。」

 

母にたしなめられ、クレオパトラは検査室へ。

 

検査結果異常なし。

先生「クレオパトラさん、昨日なにか晩ご飯以外にたべました??」

もちろん、ノーだ。クレオパトラは叔父と母の聞き取り調査にそう答えた記録がある。

だが事件は起こった。

 

 

祖母(クレオパトラ)「先生、昨日チョコレート食べましてン!!!」

 

 

 

チョコレート?!?!?!?!?!お母ちゃん、なんも食べてないっていったやん!!!!!!

 

祖母「先生、絶対安静ですよね?」

先生「うーん、いや、絶対安静だめです。」

祖母「先生、でも安静しないとだめですよね?」

先生「いや、安静はだめです。普通に生活してください。安静はだめ。笑」

祖母「先生、なんか痛み止めうっておいてください。」

先生「いや、だめです。必要ないです。」

祖母「んじゃ、なんか薬とか。」

先生「うーん、今日なんか家で飲んだ?」

祖母「ロキソニン」

先生「ほな、それだしとこか?」

 

祖母はすっかり元気になって帰ってきました。MRIで脳がピカピカやと先生にいわれていい気分のようです。うどんとお寿司をもりもり食べて帰ってきましたとさ。

 

めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インドdeご飯。

嫌になってきた。

情報がありすぎる。

物が多すぎる

簡単に発信出来る。

どこへでも簡単にいける。

蛇口をひねれば水がでる。

停電にならない。

言葉が通じる。

周りの音楽であるはずの会話が、雑音になる。

日本語の本が売っている。

山ほど売っている。

山ほど、同じテーマで違う作者の異なる値段の本が売っている。

本でなくてウェブでも読める。

必要な情報は大概ググれば出てくる。

欲しい物は店に行けば必ずある。

自分の欲しい色や形の物がある。

便利そうな物が売っている。

 

だけど何も欲しくない。

すごく便利な国なのに

ものすごく高い判断力を求められる。

 

携帯電話も持たずに、1ヶ月がたった。

ハロー日本、我が祖国。

嗚呼、羊飼いになりたい。

インドdeご飯。

お伊勢恋しや、参りたや。

特に家で宗教教育があった訳ではないのだが、昔から神様という存在について特に疑いを持ってたことがない。さらにインド在住経験を経て、感じ方が一段とビビッドになった。30年生きていると、目に見えないものの存在を信じられるようになる。これを感じる感覚は人間が本質的に持つ、俗にいう勘とかセンスというものなのだろう。

三重県伊勢市とはかれこれ25年ほどの付き合いがある。4歳のころ、近所に同い年くらいの男の子が2人引っ越してきた。ご縁があって幼稚園も小学校も一緒になり、お母さん同士も友人となった。四六時中、兄弟のように裏山で遊んだ。だが、1年生にあがってすぐ、お父さんが寿司職人として仕事がきまり、家族も一緒にコアラの国へと旅立った。1学期しか背負われなかった、まだピカピカの黒のランドセルが寂しく残された。

この2人のお母さんの出身が三重県伊勢市で、お話の中に「伊勢のおばあちゃん」が良く出てきたのだ。だがなんという事か私は三重県とは今まで本当に縁がなく、高校生の頃にパルケエスパーニャにバス代入場料混み5000円でいけるという激安ツアーに友人にいった1回だけだった。15年ほど前の話である。その当時で既にスペイン村はくたびれていて、情熱の国を持ってきたものの空回りというのでしょうか、良く三重を知らない私もこの土地とのアンマッチさを雰囲気で感じた。

ともかく、まるでインド修行中の私のタイミングを見計らったかのように、先月訪れた東京で大学の友人・ナタリーが伊勢神宮に行きたいと言いだした。伊勢神宮・・・黄金の光が放たれ、白がかるその反射で直視出来ない。伊勢神宮の内宮では太陽の女神である天照大御神様、外宮では食物の神様である豊受大御神様が祭られている。(これもまた、調べてみるとインドに繋がっていく事になる。)その後、彼女の名古屋出張が3連休前に入り足を伸ばして伊勢に行こうという誘いに、二つ返事で乗っかったのであった。

 

今回宿泊させていただいたのは風見荘(ウェブサイトはこちらから)。日本人経営のゲストハウス。プライベートルームは1泊2名で6000円ほどでした。床がとても滑りやすく、雰囲気はかなりフレンドリーなので若い方向きです。伊勢市の駅から徒歩3分、外宮まで5分、コンビニ5分の好立地です。

私たちが使用した交通機関は近鉄電車。名古屋からは1400円(快速急行で1時間30分)、大阪・鶴橋から1800円(快速急行で2時間)。全席指定席の特急券(1300円ほど)を購入すると30分ほど節約し、確実に座れます。

 

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インドdeご飯。

そして2015年7月、私はデリーに引っ越すことになった。

そして2015年7月、私はデリーに引っ越すことになった。

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3年かけてくの字型にインドを上に上ってみました。なんで今更デリーなの?いや、ちょっとご縁があったんですよ。その話は私の人生に珍しく結構「普通」で、ゲラ笑いできる箇所も特にないので割愛します。

北、西、南を制覇した私が胸をはっていいます。バンガロール在住の皆さん、バンガロールやっぱり最高ですよ?!

オートのおじさんやメイドさんが片言でも英語がわかる(わかろうとしてくれる)、体格もコンパクトで親しみやすい、気候もいいし、肉も食べれる。しかもタイ・シンガポールも近いってパラダイスです!

デリーに行ってショッキングだった事ーガチで英語が通じません。笑メイドさんもタクシーのドライバーさんもヒンディーオンリー。そして笑わない。南インドの様な「へらへら〜〜とりあえずわらっとけ〜」という南国気質は皆無!生きるか死ぬかのハンガーゲームに絶賛参加中といわんばかりに眉間にしわのよった方が多い事…夏は容赦なく日差しが砂の大地を熱の板に替え、冬はタイルの床が体を芯から瞬間冷却してしまう北の地域の人々と、年中とりあえず半そででもどうにか生活出来ちゃうバンガロール人との自然の厳しさ経験値が明らかに違う。

空気がもやがかっているのは大気汚染のせいだけではなく、その土地特有である砂漠の砂が舞い上がっていることも喉をやられやすい理由のひとつでしょう。お部屋は毎日叩きを掛けても砂埃がつもった。

そして、英語がわからないが理由のタクシー乗車拒否の多い事。。。さらに夕暮れ以降女性の一人歩きはあり得ません。バンガロール、ムンバイ、チェンナイは平気でした。(ローカルのつとめ帰りの女性が歩いて帰る姿もあり、普通の光景です)が、デリー・グルガオン地区で女性が日が暮れて道を歩いてるなんて背筋がぞくっとします。ほとんど見かけませんが、そんな方がいたら車に乗せてあげたいと思うくらい、人さらいに近い方法で女性に暴力をふるう事件がデリー地区では頻発しています。(現地人が歩かないんです。肌の色が明るめの日本人が歩いたら余計に目立ちます。)歩いてる本人も明らかに足早にバッグをしっかりもって家路を急いでいます。

デリーに住む予定の皆様、ヒンディー語の学習をお勧めします♩Indian Language exchange Partner はこちらのサイトがおすすめです!ムンバイでとても素敵な日本語好きインド女子と友達になれました!

でもデリー・グルガオンの好きなところもあります。それは…

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かわいいぶたちゃん。

日本企業の人事の皆様!!!!!!

デリーやばいです!ハードシップ手厚くしてくださいね!!!!!現地採用もですよ!!!!ここ、難易度高いです!!!!!!笑

大気汚染、慢性的な渋滞、一人で自由に出かける事が困難な環境、英語・日本語が通じにくい、グルガオンは牛肉が食べられない(肉類も手に入りにくい)。夏は日本の気候からはかんがえられないほどク◎熱く、ナイフのように尖った日差しが皮膚の水分をどんどん吸い上げる中で生活をし、冬は10度以下を大理石床のコンドで過ごす。

インド全域、日本人が快適に過ごすのはなかなか厳しいですがデリーの大変さは郡を抜いていると思ったあんじぇらでした。

 

 

 

 

 

インドdeご飯。

ミガワリ

そう、事件は突如発生する。

頭がふわっと軽くなり、呂律が回らないくらいパニックに陥った。こんなふうに肩がぞわっとする感覚は初めてだ。「緊急事態のときこそ、落ち着いて」という当たり前の標語を思い出すが、
がーん→冷静→がーん→冷静→がーんの波が押しては返す。陣痛はこんな感じだろうかと別の事を考えて気をそらそうとするが、世の中そんなに簡単に自分の気持ちをコントロール出来たなら人生苦労しないだろう。

ない、のである。
去年仕事のオファーがあり、急遽詳細を伺いにシンガポールへ飛んだことがあった。好条件の転職であったが、航空券まで手配して頂いたにも関わらず結局お断りする事となった。
帰りのチャンギエアポートで自分を高める武器として、女の子なら誰でも憧れる、あの宝石店でダイアの入った耳飾りを手に入れた。

が、ない、のである。
母からもらったサファイアの指輪とともにごっそりなくなった事に気づいたのは
デリーからバンコクへビザとりに出発する、その数時間前だった。
大体何が起こったか理解出来た頃にはショックのあまりに手が震えた。(私も震える事があるのね、ともう一人の自分が関心をする。)
デリー空港につくなり排泄時の不快感を感じ、バンコクに到着してビザ申請が済んだ事を見計らうように体調が崩れ、激しい下腹部痛に襲われた。トイレから漏れる私の惨めなうめき声をききかねた友人に、半ば強制的に病院へ連れて行かれた。バンコク在住時には高くていけなかった「日本語通訳がつく」病院は待合室はまるで空港のラウンジのようでジュースが飲み放題サービスだ。10年前には衛生面の不安等がもてはやされていた事など嘘のように、タイは今や美容+医療大国となり、院内は世界中から患者が集結したit's a small world 〜バンコクの病院ver. ~状態であった。
本当にラッキーだったのが、前回の一時帰国から3ヶ月以内だったので海外旅行保険が適用された。ありがたい。抗生物質を処方され、飲み終わる頃にはすっかり友人と言い合いをするほど元気になった。ただの膀胱炎をみくびってはいけない。(女性は特に気をつけてください。)

今日この話を皆さんにするのは『みなさん、インド怖いとこ!盗難気をつけて!』という注意喚起ではありません。この事件の後に起こった事件との間に感じた不思議な出来事の話です。

誰が悪い?誰が悪いかって、そんなに重要?
忙しさのあまり、気が抜けてしまっていた自分の落ち度もありますし、大事な物をなくしてしまった後ろめたさや悔しさがあふれる。砂漠状態の疲れた私の心にたったひとつある救いの井戸から飲めない汚染された水(負の考え)が湧き出てくる。

自分の意識を戻す。私、今どういう気持ちですか?
うーん、いやな気持ちです。大切な物をどうやらとられてしまったようで腹が立ちます。
それっていい気持ちですか?
いいえ、嫌な気持ちです。
ずっと嫌な気持ちのままでいたいですか。
うーん、いやです。できたらいい気持ちになりたいです。
じゃあ、悪いものを持っていってもらったと考えましょう。

こう考える事によって負の考えとはバイバイをし、犯人である誰かの事を責める事も離脱する事にしました。せめても気持ちよくないし、なり得ないからです。

数日後。
友人宅の窓から渋滞する道路がみえ、そこをなんとか抜けようと数台の救急車が悲鳴のようあサイレンががむしゃらに聞こえてきた。
数分後、友人の同僚からの連絡でそこからわずか5分の徒歩圏内で20名の死者、120名以上の負傷者が発生するテロ事件が起きていた事を知った。(朝日新聞より)
そして私と友人は現場付近のマッサージ屋にその夜、予約を取っており、私がぐずぐずしていたために出発が遅れていた矢先の出来事だった。さらに事件があったエラワン廟はヒンズー教の神様、ブラフマンを祭る祠だった。

私の心の中で誰かが「守っていただいたんだな、ありがとうございました。」とつぶやいた。

この盗難が災いを避けてくれたかなんて誰も知らない。
このような因果関係を結びつける事は都合のよい解釈にすぎないと考える方もおられるでしょう。そういわれればそうなのですが、この世の中、人間の頭で理論的に議論しても説明出来ない事が山ほどあります。だから不思議だなと思ったって事は多分そういう事なんだと私は受け入れる事にしています。

石の話
ちなみにサファイアという石はとても気難しく、人を選ぶそうです。
1つ目のダイヤモンドも慎重に選ぶ必要があるそうです。
たかが石にそんな力があるのか、って?
石も生き物ですよ〜〜〜!持つときは相性のチェックをしてもらいましょう!
過去にはこういう事もありました→インドの神々からのサイン

*タイのテロで亡くなった方々のご冥福と負傷者の皆様の早い回復をお祈りします。
そして世界の皆様が幸せでありますように。 合掌*

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インドdeご飯。

バンコクでインド観光ビザを取得する方法

「仕事辞めたー、観光ビザで戻ってきてもうちょっとインドにいたい。でも日本まで帰ってビザとるのめんどくさい」

という貴方のために。

 

バンコクでインド観光ビザを取得する方法

インドからバンコクまでなら航空券は大体25000ルピー往復程度。休暇もかねていざ、ビザランへ!

情報は2015年8月のものでインド関連情報は頻繁に内容変更がありますので最新情報は大使館のウェブサイトでご確認ください。

場所:IVS Global Pvt. Ltd/地下鉄ペッブリーから徒歩5分(大使館ではなく、業務委託されています)

受付時間:月ー金/8:30–14:00

◎必要書類を事前に用意する

  • オンラインで記入済みの申請書のプリントアウト(申請書はこちらから)
  • 2×2 inch のカラー証明写真(忘れた場合、センターに証明写真ボックスあり。)
  • パスポートの写真ページのコピー2枚 (センターにコピー機あり。)
  • タイ入国のスタンプページ1枚 (タイ滞在許可期間が記載されています。)
  • Reference form. →特に無くても何もいわれませんでしたが旅程とかがあればいいと思います。
  • インド入出国の航空券(バスチケットetc)
  • ホテル予約確認書(6ヶ月以上の長期滞在は2週間のホテル予約が必要だそうです)

ちなみにインドBビザ、Eビザの発給はタイで5年以上の就労がないと受け付けてくれないそうです。

◎流れ

1:センターに行く

2:受付で書類のチェック

3:番号札をもらって待つ

4:カウンターで再度書類とメールアドレスのチェック(引き渡し日はメールで知らされます。)

5:支払い(1400バーツ程度、半年有効)

6:パスポートコピー2枚のうち、1枚をレシートを添えて控えとしてくれます。

7:発行におよそ8日間。受け渡しに関してメールで連絡がくる

8:受け渡し時間に再度センターを訪問、カウンターに直行し、控えを渡す。

9:ビザのついたパスポートをもらって出来上がり♩

 

なんでこんな事知ってるかって?取りにいったからですよ笑

あれ?仕事は?うーぬ、いい質問だね♩