インドdeご飯。

自分が死んだときのこと。

冬のぱきっと青い空のもと、家が欲しくなった。

ネットでさらりと検索をすると、私の声を聞いたかのように町内の空き家が出ていた。

私の生まれ育った町は山、近くには滝がある自然がリッチな事で知られるが、電車で神戸へ40分、大阪梅田へ30分と便利な距離感とさらにご近所のほとんどのご自宅から伊丹空港がまるで中庭のように望め、産婦人科や幼稚園も豊かな子供がおおい、田舎ながらも都会に近く、次世代が見えるバランスのとれた豊かな地域です。

とはいえ、ご近所さんもご高齢になり、一人またひとりとなじみの顔が少なくなり、ついにその家も『オーナー不在』になった。6LDKと日本庭園のあるお屋敷である。タイミングがうまく合い、昨日の今日で内覧をさせていただく事ができた。

靴のままどうぞとあがったお宅は、古きよき昭和のお家という言葉がぴったりな丁寧な作りで、どの部屋もちょっと壁を殴ったくらいで穴があく様なやわな最近の住宅とは素人の私がみてもちがうのがわかる。痛んだ畳のい草が、まるで秋先の庭を歩いている気分にさせる。

そして荒れ果てた室内は、家主の最期を物語るかのような寂しさをじんわり感じさせた。

5年前に亡くなり、跡継ぎがいなかったため不動産屋が引き取り家の中を片付けたという。ゴミ屋敷と化した部屋に抜け殻の放られた、故人の軌跡は全て処分したという。どの部屋から下界の絶景が望め、離着陸する飛行機が手を伸ばせば手が届きそうな距離でふわふわと視界に入る。『絶景ですね。』なんて白々しく小芝居をしながら見慣れた風景をこの屋敷の縁側から覗く。ガラス張りの浴室は小さいながらも展望風呂となっていて、築45年とは思えないモダンな作りに胸が高鳴った。

結論としてはリノベーション費用を考えると断念せざるをえないと、物件を後にした。ノスタルジックな夕日の光線が注ぐなじみの空き地で、昔と変わらずに赤、黄色と衣装替えを披露する紅葉や銀杏を横目に家路につきながら、残された方の記憶と自身の墓石だけでこの世に残ったあの家主を想った。

大企業でおつとめするエリートだったという。みんながうらやむようなお屋敷にきままに住み、外車を何台ももって、世界中を旅して。

でもその全ての物も、賞状も、お金も、お気に入りの靴も、写真も、土地も、家も権力も、声も肉体も

 

何一つ、死んだらあの世にはもっていかれへん。

死んだら持っていかれへんねんで。

限りある時間やからこそ、囲まれる物や場所、人は慎重に選びたいね。

そしてある程度の歳になったら自分の為に一通りよけたら、残りを後世にどうつなぐか考えなあかんなと母と話しながら、家に繋がる角をきゅっとまがった。

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